笠松で検地の縄を神とすること

 笠松を攻めてきた。

 岐阜羽島名鉄に乗り換えて、柳津駅で下車。

 まずは、麺坊ひかりで腹ごしらえである。

 それから、だいぶ歩いて白鬚神社へ。

 ここは道三・信長両将別れの地として知られている。織田信長の正室の濃姫は、斎藤道三の娘であった。1553年、富田の正徳寺で道三と信長は会合をもったあと、帰路をともにし、田代の八幡神社別れの儀式をした。そこから道三は稲葉山へ、信長は那古野へ戻った。

 八幡神社がのちに白髭神社に合祀され、現在に到るのである。

 ここには東流廃寺(蓮台寺)塔礎石も置かれていた。

 1957年に8世紀頃と推定される寺院跡が発掘されたもので、塔の高さは30メートル近かったのではないかとか。

 近くの御社古神跡は、1578年の太閤検地の際に田畑の測量に使った縄を埋めて祀った場所らしい。

 そんなものが神様扱いになるとは!

 この一帯は森越後守居城跡でもある。

 14-16世紀頃に森家が城館を構えたとされる場所で、ちなみに森家からは森蘭丸が出たことで現在でも名前が残っている。

 文政年間、寛政年間の石灯籠がある秋津神社を経て、参道脇にある旗本津田領代官陣屋跡へ。江戸期に当地は旗本・津田氏の領地であった。ただし、陣屋は安八郡白鳥村で、ここには代官所が置かれていた。

 つい最近まで蔵が残っていたらしい。

 ここから木曽川に出る。

 このあたりは川との戦いがつづいた場所だが、堤防のことを「猿尾」と呼ぶ。

 将監猿尾は、1650年の大洪水後、3代美濃代官岡田将監義政が、笠松に堤防の修理のために仮陣屋を設け、長池につくったもの。

 いまは根本の部分だけが残っている。

 大臼塚跡は、隠れキリシタンが処刑されたと伝えられる場所だ。

 「大臼」も「デウス」が訛ったものではないかと言われている。

 川の中を眺めると、藤掛水没遺跡がある。

 1971年に中学生が中洲で弥生式土器を発見したもので、さらに発掘を進めると、縄文から江戸に到る遺跡が出てきたのだという。