本日、母の命日

今日は母の命日。あれから5年。

5年も経っていたんだなぁという感じです。

実際、何年経ったのかわからなくて、

お位牌の裏を見ました。

今年は少し違う命日です。

実家を売りに出したので、

さいたまの部屋からまっすぐお墓へ。

その日のうちに戻ってきます。

またこれもね、

母が亡くなってから約5年、

住む人のいなくなった実家をキープし続けていたのだと思うと、

その労力に、これまでのわたしに頭が下がります。

よーやってたわ。

昨年の今頃、

通い始めたGで、まず向き合った母との関係。

もう亡くなって4年経っていたにも関わらず、

わたしの中には、母の軸が、

さもわたしの軸であるかのように存在していました。

母の希望には添えない。

わたしはこうしたい。

その本当のわたしの軸も在ったというのに、

端っこに押しのけ、悪者扱いしていた。

もう一度書きますが、

4年経っていたんですよ、

母の姿形がこの世からなくなってから。

それなのに、

縛られ、囚われていた。

わたしがそれを望み、選んでいたのね。

違う見方をすれば、

母の呪縛はそれほど強い。

囚われていようと思えば、

一生そうしていられるくらいに。

良きにせよ、悪しきにせよ。

もうこの世にはいない母の軸を手放すのにも

それはそれはもがきました。

決めるだけなんだけどね。

決めるまでがね。

今生きている生身の親と向き合ってる皆さんは

ほんとにすごい。

母は、わたしが故郷に戻り、

婿をもらい、家を継ぎ、孫の顔を見るのを

望んでいました。

帰ると必ず結婚の話。

ある時帰省すると、

近所のさんとお茶のみしてる時、

うちの子はまだ結婚もしねーでー。

早くしろって言ってるんだけどって話したら、

そんなこと言ってると帰ってこなくなるって言われたんだー

と、話す母。

全部本人に言ってしもーてるやないかーい!

近所のおばちゃんグッジョブだったんだけどなー。

忠告虚しい笑

その感じは晩年も変わらず、

病床でもわたしがひとりで生きていくことを、

ずっと心配していた母でした。

ま、わたしもね、

こんな状態じゃ誰とも付き合えねーべー

と母のせいにしてましたから。

全世界の不幸を背負ってるような顔で、

親に接してたからね。

おあいこです。

この1年で、わたしのなかから、

母の軸がなくなったなぁと感じます。

思い出すこともあまりなくなりました。

命日はどうしてもね、

いろいろ思い出すし、感じるけれど。

それはそれでいい。

でもそれくらいでいい。

そう思います。

自分の軸で生きてみると、

わたしはかなーりドライです。

ウエットな部分もあるけれど、

じつは子供の頃から、

親子の関係に関してはドライだった。

生まれてきただけで十分、と、

それ以上を望まれても返せない、と、

ずっと思っていました。

親孝行なんて、

これっぽっちも考えてなかった。

薄情っていうか、

そこに関しては情はないよね。

あーこわ。

ほんで、両親はそれを知ってた。

父はある時あきらめ、

母は最後まで納得できなかった。

だから、この数年は、

ほんとよく頑張ったんだよね、わたし。

ないもの絞って。

それは罪悪感の成せる技だったのかも。

それすら捨てた、

わたしはどこまでも自由。

縛っていたのは母ではなく、

わたしでした。

わたしのことは、わたしが決めていい。

ううん、

わたしが決める。

これからの人生、

ひろちゃんの言う、

すべて在って、すべてない。

過去も未来もない。

あるのは今だけ。

わたしの道でたくさんの体感とともに

実感していきたい。

その最中です。

さて、お墓参りして、

ラーメン食べてきます。

いってきまーす。

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